知れば知るほど奥が深い“花魁”の世界

知れば知るほど奥が深い“花魁”の世界

豪華な着物に派手なかんざしをつけた花魁(おいらん)姿は、時代劇の中ではよく見かけますが、
今では変身写真でも人気です。
花魁と言うと「昔の遊女の位の高い人」というくらいしかイメージが湧かないといった方は多いでしょう。
外国人などは、舞妓さんと花魁の違いも分からないくらいで、派手な方が花魁、
今も存在するのが舞妓さんと思われているかもしれません。
そもそも「花魁(おいらん)」という言葉は18世紀の半ば以降からしか使われていません。
それまでは「太夫(たゆう)」や「傾城(けいせい)」と呼ばれていました。
こちらでは、花魁の歴史や髪型、着物の意味、髪飾りや着付けの仕方、しきたり、花魁の使う廓言葉、
お化粧、階級、花魁道中など、知れば知るほど奥が深い“花魁”の世界に関して詳しく説明しています。

花魁は教養と美貌を合わせ待った一握りの遊女しかなれず、遊女の最高位でした。花魁はそれまでは太夫と呼ばれており、付き添いの少女が「おいらんちの姉さん」と呼んだことが起源のようです。

花魁にも階級があり、大きく「呼出し」「昼三」「付廻し」の三つに分かれていました。この中でも「呼出し」は最高級の遊女で、張見世は行わず、揚屋を通して呼び出さないと会えません。

花魁の派手な衣装は、花嫁衣装を意味しており、花魁は客との一晩限りの新婚生活を楽しむために、一番外側に色打掛けを着て、夫婦の夜の象徴であるように帯を前に結んでいるのです。

遊女は常に見栄を張り、女の世界の中で競争して生きてきたため、いかに他の遊女より目立って美しく見せるかを常に研究しており、遊女のトップである花魁のファッションや髪型は最先端でした。

抜き襟やお引きずりなどの花魁の着こなしには特徴があります。本来の花魁と現代で見られるような花魁風の着こなしは差異がありますが、どのような点に注意して着つければ良いのでしょうか?

花魁ファッションは成人式などでも人気です。特に豪華な帯を前結びにしているのが特徴的ですが、なぜ前で結んでいるのでしょうか。理由は諸説あるのでそれについてご説明します。

江戸時代になると一般庶民もメイクをしはじめます。当時人気の高かった花魁は憧れの的で、彼女たちの装いは当時のトレンドとなっており、花魁のお化粧方法も真似たそうです。

遊郭で遊女が使っていた「ありんす」などの言葉を廓言葉(廓詞)といいます。廓言葉が使われるようになった由来や、廓言葉が発祥で現代では一般的に使われている言葉などをご紹介します。

花魁は髪を大きく結い、不自然なほど長いかんざしや髪飾りをたくさんつけていました。なぜあのような装飾だったのでしょうか。当時の花魁のヘアスタイルについてご紹介します。

吉原で遊ぶには、身分を問わず厳格なしきたりを守ることが大切でした。格の高い花魁と馴染みになるには初会、裏、馴染みという3段階を経て、ようやく花魁と同衾がかないました。

花魁道中は、花魁が馴染み客を揚屋に迎えに行く道行のことです。豪華に着飾り、禿や新造を従えて練り歩きます。高下駄を履いての外八文字という歩き方は習得に3年はかかると言われました。

白い足も美人の条件だった江戸時代、花魁は足のケアにも熱心でした。花魁道中では黒塗りの高下駄姿で、足にも注目が集まりました。見られる立場として常に気を抜かないプロ意識に脱帽です。

芸者(芸妓)は歌舞音曲の芸で客をもてなす職業で、見習いの若い女性は舞妓、半玉と呼ばれます。花魁はいわば娼妓なのに対し、芸者は芸道を専らとし「芸は売っても身は売らぬ」が身上です。